軽井沢リゾートテレワーク協会は、軽井沢観光協会、町商工会、軽井沢旅館組合等で構成される民間主体の団体です。
軽井沢の標高約1000メートルの気候、自然、様々な人々が集うコミュニティーといった魅力をアピールし、企業・団体に軽井沢でのテレワークを促し、働き方改革や地域の活性化を目的としています。
役員
- 顧問
- 箕浦 龍一
- 顧問
- 片桐 栄子
- 顧問
- 島田 由香
- 名誉会長
- 土屋 三千夫
- 会長
- 土屋 芳春
- 会長代行
- 中里 順一
- 副会長
- 鈴木 健夫
- 副会長
- 佐藤 光紀
- 副会長
- 鈴木 幹一
- 副会長
- 森 和成
- 理事
- 金山 明煥
会員
- 設立会員
- 由井 一夫
- 設立会員
- 尾沼 好博
- 設立会員
- 石坂 洋二
- 設立会員
- 押金 洋仁
- 設立会員
- 福原 未来
- 設立会員
- 林田 和樹
施設会員
- ルルグラス
- 旧軽井沢ホテル音羽ノ森/THE BASE
- 軽井沢プリンスホテル
- Wokation Lab Karuizawa / ワーケーションラボ軽井沢
- ライジングフィールド軽井沢
- 軽井沢書店
- 風越公園(アイスパーク・体育館)
- 緑友荘
- いこいヴィラ・ワーケーション@軽井沢
- くつかけステイ中軽井沢
- フォレストコーポレーション
- 232work&hotel
- ラ・メゾン軽井沢
- K’s Village Karuizawa
- TWIN-LINE HOTEL KARUIZAWA
- Hotel Karuizawa Cross
- WORK WISDOM 軽井沢 (ホテルロッソ)
- Cozy Works (軽井沢マリオットホテル)
- ろぐ亭
- Karuizawa Prince The Workation Core
- スターゲイト
協力会社
- 有限会社 スレッド
- ムーゼの森
- わがいみちとも鍼灸院
- 株式会社 HAKU
軽井沢でのテレワークの歴史は古い
1905年(明治38年)に旧軽井沢に完成した洋風建築の三笠ホテルでは、当時の政財界の重鎮である渋沢栄一や団琢磨(旧三井財閥総帥)、住友吉左衛門(旧住友財閥総帥)、乃木希典将軍、近衛文麿、有島武郎、里見淳、清朝最後の皇帝溥儀といった名だたる顔ぶれが宿泊、華やかな社交が行われており、『軽井沢の鹿鳴館』と言われていた。これが軽井沢のサロン文化の原点であり、テレワークの原点でもある。以来、大正から昭和と政財界の重鎮を中心に、社交が盛んになっていった。社交だけではなく、幹部を呼んで重要なことを決めたり、テレワークが当たり前のように浸透していた。
転機となったのは、1997年の北陸新幹線(当時長野新幹線)が高崎~軽井沢~長野までの開通である。この頃から別荘所有者、移住者が増え始め、同時に別荘などでテレワークする人が増加した。
さらに1998年には、別荘所有者である松岡温彦氏※が「人、われを「在宅勤務社員」(テレワーカー)と呼ぶ―本当の自分を取り戻すための52章 」という書籍を出版。以来松岡温彦氏は、軽井沢は仕事に最適な場所との考えで、別荘所有者・移住者を中心にテレワークの勉強会、体験会、啓発活動を長期にわたり積極的に行っていた結果、軽井沢ではテレワークが自然な形で浸透していた。
その流れを受けて、2018年2月~6月にかけ、一般社団法人軽井沢ソーシャルデザイン研究所が、総務省、長野県などの後援を受け、一泊二日のリゾートテレワーク体験会を4回主催、東京から多くのワーカーが参加した。同年7月には、一般社団法人軽井沢観光協会、軽井沢町商工会が中心となって、軽井沢リゾートテレワーク協会を設立。以来リゾートテレワークの啓発活動を東京で、体験会を軽井沢で開催。現在軽井沢町には20か所以上のワークスペースがオープン、多くのワーカーを受け入れている。最近では自治体、企業等の視察が絶えない。
※松岡温彦氏 早稲田大学卒、住友信託銀行、住信基礎研究所取締役を経て、地域デザイン学研究所設立。軽井沢と東京の二拠点生活。軽井沢リゾートテレワーク協会顧問。軽井沢のテレワーク普及に極めて大きな功績を残された。2019年没。